自分が自分であろうとするために、私たちは「私は何々である」と自己を確定しようとする。ところがそのことによって、かえっていのちを生きることの全体性が失われてしまう。「何々である」ことにすがり、その結果、欺瞞と迷妄を生きることになる。それはさらに苦しみをまねき、生きづらい社会が形づくられる……。
これは著者たちに共通する問題意識である。東京・亀有の蓮光寺住職、本多雅人氏と、学問のありようを問うてきた東京大学教授の安冨歩氏との出遭いは2011年の震災後。そして、2012年、本多氏が、安冨氏と、石川県の光闡坊住持の佐野明弘氏を引き合わせ、本書に収載した対談が実現した。対談で二人は、親鸞の思想や生き方を通して、学問、宗教、社会の抱える問題を明らかにするとともに、安冨氏の提唱する、親鸞思想による学問の再編成「親鸞ルネサンス」の目指すところや、親鸞思想の核となる他力、方便などについて語りあった。佐野氏との対談を安冨氏は「私が思いもしなかったような問いかけや考えに触れて、自分の論理空間が広がる快感を得ることができた」と振り返っている。
本書は4章だてで、2章の対談を中心として構成されている。1章は対談の導入部として本多氏が3者の出遭いや親鸞の基本的思想を解説。対談につづく3章は安冨氏による対談の解説。4章で は本多氏が、根源的問いを見失いがちな現代人と親鸞思想についてまとめている。
内容(「BOOK」データベースより)
親鸞の思想を通して、現代の学問、宗教、社会の抱える課題を明らかにし、人間とは何か、生きるとは何かを問う。