ウィンナ・ワルツは、そこそこ好きなのだが、それほど好きでもなく、敢えてレコード買ってまでは聴こうとは思っていなかった。が、何かレコードを落札する時には、送料がもったいないので、同じ出品者で他になんかないかなぁ、と物色して、購入量が膨大になってしまう。これも、なんかないかなぁ、と探していて、エドワルト・シュトラウスって誰かしらん、と思ってついでに落札した。
そしたら、こういうご本家であった。とはいえ、シュトラウス楽団は、一旦途切れたそうで、戦後にオーストリア政府の肝入りで、エドワルトを指揮者に迎えて、復興されたらしい。この人は、戦後間もない日本に何度も来て指揮をして、ご本家が来るというので大層な評判で、それで日本ではウィンナ・ワルツが大いに広まったらしい。
で、聴いてみたら、さすがというかなんというか、これだ、これだわ、という感じであった。実は、ウィンナワルツは、何を聴いても、かすかな違和感があって、これは何か違うんじゃないか感が拭えなかった。それが、この演奏にはない。
とはいえ、何が違うのか言い当てるのは難しい。敢えていえば、ウィンナワルツを演奏する際の気合の抜き方のようなものかと思う。
初代のシュトラウスはユダヤ人であり、それをナチスも知っていたのだが、知らないふりをしたらしい。ウィンナワルツをオーストリア人から奪うことは、ナチスにも憚られたのであろう。或いは、エドワルト・シュトラウスの息子は、音楽を志はしたものの、シュトラウスの名を背負ってウィーンで音楽の道を進むプレッシャーに耐えかねて、法律家になって最高裁判所の判事をやっていたらしい。このくらい、ウィンナワルツというものは、大切な素晴らしいものであって、それを演奏するのは、気合いが入るのだと思う。
しかし、シュトラウスのワルツやポルカは、言うまでもなく、軽い楽しい音楽であって、気合いを入れてやるものではない。その辺り、大きなプレッシャーを覚悟を決めて引き受けて音楽家になったエドワルトにとっては、あくまでも「お爺さんや大叔父さんや、ひいお爺さんの音楽」なのであって、絶妙の距離感を保ち得ている気がする。とにかく楽しくて、幸せになるレコードである。