人間社会は、コミュニケーションを要素として成立しています。相互の学習に基づいたコミュニケーションを通じて成長することこそが、人間の喜びであり、社会秩序の源泉です。
しかし、そのコミュニケーションの連鎖には、不可避的にハラスメントが忍び込みます。学習を凍りつかせてコミュニケーションのフリをして、隠蔽された攻撃を仕掛け、自己嫌悪を抱かせることであなたを支配して搾取し、成長を破壊します。ハラスメントは、不安の連鎖を引き起こし、不安を餌として繁茂し、外型的秩序化と、本質的な無秩序とをもたらします。
私の考えでは、前近代の社会は、直接の暴力による脅しによって人々を屈従せしめ、それを宗教的権威によって正当化する、という二本立ての形でハラスメントを構成していましたが、近代の国民国家は、それをより洗練された形態へとバージョン・アップしました。暴力をあからさまに振るうのではなく、家庭や学校の教育やメディアを通じた宣伝によって、自分は責任をきちんと果たしていないのではないか、という自責の念を醸成し、それを起点として自己嫌悪を埋め込み、各人が、そこから生じる負の感情を払拭すべく、全力で与えられた役目に取り組むという、自発的な隷従を実現し、制度化しました。もちろん、その隷従から逃れようとする者には、執拗な暴力が加えられます。
このようなハラスメントの純化が、近代文明の華々しい膨張の根底にあり、その暴力性の蓄積が、核兵器や環境破壊による人類滅亡の危機を招いていると思います。ひょっとすると、2020年代の新型コロナ・ウィルスのパンデミックや、ロシアのウクライナ侵略は、国民国家によるハラスメント構造の、破滅的な終わりの始まりかもしれません。
多くの人が、自己嫌悪に苦しんで、それを埋め合わせようと奔走し、表面的には礼儀正しくて親切でありながら、保身に浮き身をやつし、うまく振る舞った者は傲慢になるばかりか、この罠から逃れようとする者を、お節介にも説得しようとし、聞かなければ袋叩きにする、という卑怯な振舞いに出て恥じない理由は、この近代性にその根源的理由があるのではないでしょうか。そして、ここにこそ、私たちの抱える苦悩の理由がある、と考えます。
本書では、私の日本社会での経験と観察に基づいて、このような観点から、問題の本質を摘出し、生き生きと生きる道を探求しました。それゆえ、韓国の方には、日本社会論、日本人論としても楽しんでいただけると思いますが、私は、この議論には、文化を超えた普遍性がある、と期待しています。韓国の読者にお読みいただくことで、その普遍性が判定されることを、とても嬉しく思い、かつ、少しばかり、緊張しております。
心の友だち出版社(마음친구출판사)
2021年7月初め頃刊行予定
韓国語のタイトル「自分が嫌になったとき読む本」(내가 싫어질 때 읽는 책) https://blog.naver.com/friendsbook/222812970097
出版社のホームページ:https://blog.naver.com/friendsbook
