レコードへの道 20220522

これも、聖なるレコードである。展覧会の絵(ムソルグスキー+ラヴェル)を聞いて、ラヴェルが気になってボレロを聴いて、一緒に入ってたドビュッシー聴いたら、火の鳥を聴くのは、今思えば音楽史的必然性がある。そういうわけでこれを聴いて、完全に火の鳥ワールドの虜になってしまった。

アンセルメには、このほかにニュー・フィルハーモニア管弦楽団との録音があり、死の三ヶ月前の最後の録音ということもあり、そちらが名盤として知られているが、私は、最初にこっちを聴いたせいでもなく、手兵のスイス・ロマンドの方が音が好きなせいでもなく、解釈の深い一貫性を感じるので、圧倒的にこのレコードが好きである。

単に音楽の趣味ばかりではなく、思想的にさまざまな水準の影響を受けたと言えるだろう。この曲の構成は、実は「ベートーヴェンの運命がクラシック音楽の枠を作った」という私の説の典型的な例になっている。

出だしの不気味で蠱惑的な雰囲気は、まさにハラスメントの香りがするし、火の鳥の導きによる魔王カスチェイスとの戦いは、まさに非暴力不服従闘争の表現である。極め付きは、魔王本体ではなく、その卵を割って勝利し、そうすることであのフィナーレで示される美しい安らぎの世界が広がる、というストーリーである。このレコードを擦り切れるまで聴いて以来、私はいつも、厄介な問題に対峙する時には、魔王の卵を探すことにしていたような気がする。

ちなみに、この曲のメッセージを汲み取るには全曲版を聴くことが不可欠で、管弦楽組曲版は、肝心のメッセージが抜け落ちてしまった抜け殻のようで、便利だからこちらばかり演奏されるのは全く残念である。それだと、ベートーヴェンの運命をダイジェストで聴いてるようなことになってしまうのだ。

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