ウチの赤ちゃんが、なぜかラヴェルのボレロが大好きで、寝かせる時にネット動画で色々見せていたのだが、アロンドラ・デ・ラ・パーラ(Alondra de la Parra)というメキシコの女性指揮者の動画がおすすめされて、見てみて、感動してしまったのでご紹介したい。
指揮者は、雰囲気を含めた「見た目」がものすごく大事だ。そして彼女は、全く新しい見た目を創り出した。彼女のドキュメンタリーが英語出ていて見たのだが、12歳くらいで、指揮者になる、と決意したんだけど、指揮者といえばドイツ人で白髪の男性で、自分はメキシコ人で子どもで女性で、一体どうやってなったらいいのかさっぱり見当もつかなかった、と語っていた。
「ドイツ人で白髪の男性」の代表はカラヤンだと思うのだが、彼の壮絶な世界的大人気の秘訣は、やはり、「見た目」だったと思う。クラシックのレコードを聴いて、演奏がいいとか悪いとか感じる人などという変人は、全人口のごくごく少数であるのに対して、「見た目」は誰にでも影響を与えることができる。
パガニーニがヨーロッパ・ツァーで、その悪魔的イメージで大儲けして、人々を圧倒して「ロマン派」を生み出した、と以前書いたが、その「演奏者」の枠組は、今も強烈に生きている。「演奏者」の中心は、20世紀に独奏者からオーケストラの指揮者に移るが、そのイメージを確立して、高度成長期に大膨張したステレオ・レコード市場を支配したのが、「帝王カラヤン」であった。カラヤンのみが、クラシック音楽ファンの枠を超えて、レコード市場を全世界的に席巻した。ひとえにそれは、「見た目」の偉大なる力である。
その圧倒的な売上が生み出した強烈な圧力は、パガニーニ以来のインパクトがあったはずだ。その圧力のゆえに、未だにその呪縛は解けておらず、どの指揮者も、「○○風のカラヤン」にとどまっているように私は感じている。女性指揮者も最近は出始めているが、女性でも、カラヤン・イメージに引っ張られて、「小粒の女カラヤン」みたいになり、そうなると男性に比べて不利になってしまう。いつか、この枠を、女性指揮者が「見た目」の力で、吹き飛ばしてくれないか、と私は思っていた。
そして遂に、見たのである。カラヤンの呪縛を越える「見た目」の指揮者を。「メキシコ人の子どもの女性」は、そのままに成長し、音楽の歓びを全身で表現する輝くような指揮者像を生み出した。女性ならではのメイクとファッションの多様性を、絶妙の甘辛バランスで最大限に活かし、音楽が楽しくてたまらない、という歓び発散させるその姿は、どの動画を見てもとてつもなくカッコいい。カラヤン・イメージが、これで吹き飛ぶかどうかは、今後の売上次第だと思うが、全く新しいクラシック音楽の空気感が広がっていくのかと思うと、楽しみである。
私は14歳の時に指揮者になりたい、と強く思ったのだが、日本人の、楽譜も読めず、楽器もできない子どもが、なれるはずもない、という親の説得に簡単に屈して、すぐに諦めてしまった。しかし、アロンドラ・デ・ラ・パーラが跳ね除けた圧力に比べれば、そんなもの、ものの数ではなかったはずだ。あっさり諦めず、もがくべきであったし、また、親たるもの、子どもの願望を、決して抑制してはならない、と改めて思った次第である。せめて、生きてる間に、職業指揮者は無理としても、オーケストラを指揮をできるように、もがこうと思う。
7件のコメント
どことなく安富さんに似てるような✨
こんなに美しかったらいいんだけど。
なんかとても優雅だ!で、キリッとしてかっこいい(金麦か?)。
わたしも、最初、安冨さんのレコーディング用写真かと思ってしまいました^ ^
うーむ。頑張って撮るか。
安冨さんと、何度も重なりました。とても優雅で綺麗… 音も、映る一人ひとりの表情も。
クラシックの演奏を聴きに行った時は、いつも視線(目線)がおさまらなくって持て余しています。指揮者は後ろ向きですが、もうちょっと指揮者に注目してみます。この動画を知ってから幾度も観に行ってしまい、画面が引きになった時に上の方で動いている人が気になって、クラシックの手話(そういうものがあるのか?)?をしているのかと思ったらパフォーマンスでした。