レコードへの道 20220501

ニコロ・パガニーニ(Niccolò Paganini, 1782年10月27日 – 1840年5月27日)の作曲した音楽は、無伴奏ヴァイオリンの超絶技巧曲集「24のカプリース」以外は、あまり聴いたことがなかった。全く聴かないわけではなく、たまに聴いてはいたが、好きではなかった。

バッハ 「ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ」 エリック・フリードマン(ヴァイオリン)
ブルース・プリンス=ジョセフ(ハープシコード)

というレコードをたまたま落札した。フリードマンって誰だろうと思ったら、ハイフェッツの高弟であったが、想像以上に素晴らしい演奏であった。そこでフリードマンのレコードを探したのだが、試しに買える値段のものは、パガニーニの協奏曲2番であった。

かなり期待して聴いたので、その曲の奇天烈さに、驚いてしまった。過剰なまでの技巧の披露と、やらなくてもいいようないい加減なオーケストラ伴奏の連続のようにしか聞こえず、結構、爆笑であった。そして、なぜこの音楽が、シューベルト、シューマン、リストなどに強烈な影響を与えたのか、知りたくなった。

そこで、浦久 俊彦『悪魔と呼ばれたヴァイオリニスト パガニーニ伝 』(新潮新書)と言う本を読んだ。驚いたことに日本語で読めるパガニーニの評伝は、これしかない。それでも、基本的事象を知って大きな発見があった。

パガニーニは45歳になってイタリアから出て、6年間のヨーロッパ・ツアーを敢行し、ヴァイオリン一丁で、社会現象を引き起こして超有名人となり、巨万の富を築いたのである。それは、前代未聞の偉業であった。コンサートで大儲けする、というスタイルは、このときはじめて人類社会に現れたのであり、現代のポップ・スターも、その恩恵を被っている。

このイノベーションが与えた衝撃は大きかった。シューマンが、法律家になるか音楽家になるか悩んでいた時に、パガニーニを聞いて音楽の道に進んだと言うのは、「パガニーニみたいに稼ぐことが可能だ」と思ったからであればよくわかる。リストが、「ピアノのパガニーニになる」と叫んだのは、ヨーロッパツアーで成功して金持ちになってやる、と言う意味だったのではないか。実際、リストは、それを実現した。ショパンもワルシャワで、パガニーニのコンサートに通い詰めて、そのビジネス・モデルを学んだはずだ。

私は、古典派からロマン派への移行が起きた理由がこれまでよく飲み込めないでいた。しかし、ベートーヴェンとメンデルスゾーンやシューベルトとの間ではなく、パガニーニとの間に断絶がある、と考えればよくわかる。ロマン派の創始者は、コンサート・ツアーで大儲けするというビジネス・モデルを確立した、パガニーニだったのだ。

私は、パガニーニの素晴らしさは、シューベルトがアダージョで聴いたという「天使の声」にあると思ったので、それっぽい曲を聴いてみようと思って、ギターとヴァイオリンの二重奏のレコードを買ってみた訳である。これも10インチ盤で、やはりジャケットが美しい。演奏も素晴らしかった。この曲集では、ヴァイオリンはかなりの技巧を凝らしているものの、流れは自然で、必然性があり、ギターとの相性も素晴らしい。なぜ、ヴァイオリンとピアノなどという、全く相性の悪い組み合わせが主流なのか、理解に苦しむが、ギターでは大ホールで演奏できないので、赤字になるからかもしれない。

コメントを残す